
バングラディッシュでの生活
ほんとに辛く、寂しい、ホームシックになりながらの毎日……。
でも、「自分に負けたくない!」、「自分にしかできないことを探したかった。」
高田:普通で考えたら、住むには大変な国。政情が不安定で、治安も悪い国、日本人の女性ということだけで危険なこともあったのではないですか?
山口:ほんとに辛く、寂しい、ホームシックになりながらの生活でした。
毎日おこるストライキ、誕生日に起きた爆弾テロ事件、3,300万人が被害にあった大洪水。最初の一ヶ月は不安で全く眠れませんでした。
高田:毎日帰りたいと思い、辛い日々を過ごしているにもかかわらず、ここで生活をしていこう、と強く思った理由は何ですか?
山口:他のみんなが慶応大学を卒業して大企業に入り、中には結婚したりする人もいる。私はそういう選択肢を全部捨ててここに来ている。なので、何も残さないで、この時点で帰ってしまうのが自分では許せなかったんです。自分に負けたくない!というのが常に自分のモチベーションでした。あと、自分しかできないことを探したかった。
高田:自分にしかできないことは、このバングラディッシュになるはずだ!と 2年間暮らし、自分探しがはじまるのですね。大学院では初の日本人ですよね?
山口:日本人というよりは、外国人としてはじめてでした。他は全て現地の方々のみです。休み時間はみんなベンガル語だけで話しているので、最初は上手く溶け込めませんでした。あと、日本人だから、ジロジロ見られる。肌の色が違うというだけで。それが、すごく疲れました。
高田:授業は英語ですか?
山口:英語とベンガル語の半分半分でした。教授たちもあまり英語が得意ではなかったので。
高田:大学院の学生は卒業してから、現地で働くのですか?
山口:半数が現地で就職し、半数が海外へでます。本当のお金持ちは、皆ほとんど海外にいってしまいますね。
援助だけでは貧困状態からは永遠に脱却できない。
援助に頼らず生きていくためには、人々が自立することだ。
高田:2年間大学院に通いながら働き、そして現地の人達と一緒に生活をしていく中で、援助だけでは貧困状態からは永遠に脱却できない、とお感じになったそうですね。
山口:社会進出できない女性の姿、それを悩んでいる大学院の女性の姿などを目の辺りにして、じわりじわり、一つ一つのイベントで、援助だけでは貧困状態からは永遠に脱却できない。援助に頼らず生きていくためには、人々が自立することだ、と感じました。
例えば、デモが起きて、外出禁止令がでて、お店も全部弊店して、経済活動がストップしてしまう。そんな状況がよくありました。でも、それが本当に政治家達のやることなのか? 郵便局でもお金、賄賂を要求されます。
高田:賄賂? 支払わないと受け取れないの?
山口:日本人だからというだけで、たった1通の手紙を受け取るだけなのに、2万、3万円のお金を要求してくるんです。「外国人だからと言って、何を言うんだ! あなた達はそのお金を何に使うのか?」と、1週間ぐらい毎日けんかしながら通いました。しまいには、大喧嘩になったんです。
高田:強いですよね!
山口:かたことのベンガル語で、「そんなことは絶対に許されない!」と叫んだんです。もうホントにすごく悔しくて……。ダッカの街は、いつもたくさん車が渋滞して、車がひしめき合っているんです。交通事故も多発しているけど、警察官にお金を払わないと許してもらえなかったりとか。公共機関がすべて汚職にまみれた腐敗した状況でした。
そのたびに、「腐ってる。腐ってる。」、「変えなきゃ絶対におかしいじゃん!」とまわりに言いまくりました。でも、大学院の友人も、現地の人達も、「そんなの皆わかってるよ。」、「自分達で何かをしようと思っても無理なんだよ。」、との反応だけでした。私達が具体的に何かできることはあるのか?と考えましたが、選挙の1票もお金で買える国です。
「生きることが最大限の目標である私達にとって、皆政治を変えたいと思っているけど、そんなことできないんだよ。」、と言われてしまったんです。
高田:そんな毎日の生活の中で、自分には何ができるのか?と思い悩んだのですか?
山口:はじめは何とかこの腐敗した社会を変えなくては!と思っていましたが、まわりの意見を聞いているうちに、私一人だけがこんな熱い思いを抱えていても「だめじゃん!」と思い、1年経った頃、日本で就職活動をしました。結構いいなと思う企業から内定もいただきました。
その後バングラディッシュに帰り、ふと思ったんです。バングラディッシュでの2年間はいい思い出だったね!と片付けて、日本に帰国し、果たして普通に働くことができるのか? これだけバングラディッシュの現状を見てきたのに、それを忘れて日本人に戻ることに違和感を感じたんです。
高田:逆に以前より思いを強くしたのかもしれませんね。
