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きっかけは全て単純なもの
「そこに向かっていく思い」があると、「できる力」がついてくる

第6回:河村都氏

河村都さん高田:その後は、2~3歳児向けの英才教育の講師をされたんですよね?

河村:それが今の仕事にもつながっているんです。弊社のパンフレットに掲載されている羽賀さんがオリジナル教材をつくって、お受験のための教育ではなくて、「考える力」を学ぶということを目的とした英才教育なんです。これが、素晴らしい教材なんです。

高田:その時のご経験もたっぷりと今につながっていらっしゃるんですね。
その講師のお仕事とは別に、結婚情報サービス会社で、パーティの司会もされていらっしゃいましたね。どのようなきっかけだったんですか?

河村:司会をやってくれないか、と知人に頼まれたんです。その司会のお仕事は週末だけ、英才教育の仕事を平日にやっていましたので、「あら、おもしろそうね!」と思い、引き受けることにしました。結局、その会社で24年間も働き続けることになったんです。

高田:司会のみのお仕事だったんですか?

河村:司会をしていたら、じゃあ企画も考えてくれる?と言われ、次はスタッフにもそのことを教えて欲しい、会場にも連絡してもらえないかな、という具合に、気がついたらパーティ課のリーダーになっていたんです。その後、会社全体をまとめていく責任者として、スタッフを教育し、リードしていくという教育研修のお仕事につながったんです。

高田:週末のアルバイトだったはずが、他の仕事も任され、最終的に管理職になっていたんですね。

河村:きっかけは全てとっても単純なものなんです。でも、受けた仕事から何かが生まれるということをすごく信じています。何でも受けている訳ではないですが、「やってもいいんじゃない!」、という直観的なものがあるんです。それをするだけの力がなくても、「そこに向かっていく思い」があると、「できる力」がついてくるんです。

高田:でも、もともとそういう力があったのが、引っ張り出されたのではないですか?

河村:そうでしょうか。「おかあさんといっしょ」も、はじめはびっくりしました。50~60人ぐらいの人たちが影でサポートしてくれているわけです。私ひとりが失敗すると、すべてやり直しで、その大勢のみなさんに迷惑をかけることになる。でも、必死に頑張っていると、どうにかできるようになっていくんですよ。どちらかというと、自分は走るのが遅いんだけど、一生懸命走っていたら前を走っていた、という感じですね。決して前を走ろうと思っていたわけではないんですけどね。(笑)

40代で大学の講師デビュー/幼児教育課での「表現教育」

高田:はじめから先頭に立とうと思っていなかったけど、気がついたら先頭でたくさん人がついてくるようなポジションになっていた、というわけですね。

河村:そうですね。司会のアルバイトをしているとき、知人からある女子大の幼児教育課で、これから幼稚園の先生になる生徒に対して、2年間講座をもってくれないか、という打診がありました。

高田:へぇー、それはすごいですね。

河村:だから、結構いろんなことをダブって仕事していることが多かったんです。

高田:英才教育の講師、パーティの司会、大学の講師と3つですね。

河村:そうです。大学での講義は、「表現教育」というものでした。日本では、自分が考えていることをいかに他の人に伝えるか、というような教育はないですよね。先生がそんな教育を受けてもいない。だから、これから保育士になるみなさんには、もっと自分を表現する方法を学んでもらう、そしてそれを子供たちにも伝えて欲しい、という「表現教育の講義」だったんです。

高田:そういう講義があるんですね。河村さんは適任だと思われ、お声がかかったんですね。

河村:そうかもしれませんね。大学生に90分の講義を週に2回、しかも午前・午後と合計4コマ持っていたんですよ。

高田:それはすごい、ボリューム的には結構大変ですね。

河村:すごく大変でした。ある人に言われたんですよ、だいたい大学なんかは、どこどこの大学をでた教授とか、派閥とかがあって、そんな中で経験もしていないのによく受けられるわね!って。

高田:それを聞いてどう思われましたか?

河村:「へぇー、そうなの~。」って思っただけですね。頼まれるということは、できるかもしれないと見込まれて頼まれたわけなので、知人に言われたことは全く気にならなかったですね。ただ、90分を講義するということがどういうことか、私の中ではわからなかった。それで、NHKのお話教室(文化センター)、あと夜に「デールカーネギーの道が開ける」、という教室に通ったんです。

通った理由は、私が表現するのを上手くすることではなくて、先生たちが90分の講義をどんな風に進めているのかを勉強したかったから。

高田:逆に講義のやり方に興味があったんですね。

河村:はい、そうです。ほかの生徒さんとは目的が異なる参加でした。

高田:大学の講座を受け持つ前に通っていたんですよね?

河村:そうです。私はメモをとりまくり、それをまとめたノートがたっくさんあって、そのノートの要点を勉強し自分なりに膨らませると、90分の講義ができるかもしれない、と考えたのです。

高田:とにかく90分の講義を受け持つために一生懸命勉強されていたんですね。

河村:4月までにしっかりマスターしなくては、という必死な思いでしたね。プロの司会者として、声がかかったのではなく、大学の先生としてお声がかかったので、「それに向けてやる」という感じですね。

高田:普通だったら、知人にいろいろ言われた時点で「やっぱり無理かしら・・・」なんて思っちゃうかもしれませんが、そのチャンスを逃がさずに向かっていったのは流石ですね。

河村:そうですね。大学で90分の講座を週4コマやっていたのはすごく勉強になりましたね。

「学生全員が講義を受け、ちゃんと聴いてもらうにはどうするべきか?」
必至で勉強して講義した日々

高田:何か心がけたことはありますか?

河村:当時の女子大生はみなさんとってもお行儀が悪くて、とてもじゃないけど講義を受ける態度ではなかったんです。そのとき私は40代でしたから、学生からは「誰かしら~?」と上から下までジロジロ見られる。髪の毛をとかしていたり、鏡を見ながらお化粧したりと、すごかったんです。「この子たちに負けるものか!」って思いましたね。

それで、冒頭から、「私の話は心で聴いて欲しいから、聴きたい人だけ来てください。来ないから単位をださないことはありません。」とはじめに宣言したんです。出席しなくても単位がとれるとわかると、休みが多く、最初は人数がとても少なかったんです。でも、だんだん面白い講義だ、あの先生のは面白いよ!と評判が広がっていき、3学期にはほとんどの生徒が出席するようになったんですよ。

高田:へぇー、それは素晴らしい。

河村:だから、「やったぁー!」って思いましたね!(笑) 
「負けるものか!」と思っていたので、「私の話を聴かないと損よ!」みたいな勢いでやっていましたね。(笑)

高田:そこまで学生が出席するには、話す内容やコンテンツはかなり工夫されたんでしょうね。

河村:そのための勉強はすごく大変でした。本当に必死に勉強しましたから、ちょっぴり疲れちゃいましたね。

高田:そこまで頑張ったので、3学期にはほとんどの学生が出席したんでしょうね。

河村:慣れた教授とかは、聴いても、聴かなくてもいいや、というスタンスの方が多かったように見受けられました。でも、私はそれは嫌だったんです。やるからには、みんな全員に聴いて欲しかった。「そのためにはどうするか?」、「後ろを向いている人を振り向かせるにはどうするか?」と必死でしたね。

高田:学生にもその気持ちが伝わったんでしょうね。ベテランの教授より人気があったのでは?

河村:人気があったのかもしれません。ですが、正直他の仕事と並行するには、体力的にも、時間的な部分も含めて続けていくことが難しく、辞めることにしました。

高田:それで2年で辞められたんですね?

河村:続けることも可能でしたし、そういう肩書も大切だという意見もありましたが、「肩書」なんてどうでもよかったです。ふりかえってみると、当時の2年間は一番大変で、疲れましたね。

高田:当時お子さんも小さかったんですよね?

河村:小学生でした。 週4回の授業と、週末は結婚情報サービス会社のパーティの司会の仕事をしていましたので、当時子供は、お母さんは家にいないんだ!と思っていたようですね。

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